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「桜咲く東北の春、復興応援見学ツアー」に参加して

皆さん、おはようございます。
 先月、4月27日・28日、土日、一泊2日で、
「桜咲く東北の春、復興応援見学ツアー」に女房と参加してきました。

 4月27日、午前11時、仙台空港に降り、海岸線に沿って、名取市、仙台市、多賀城、塩釜、東松島市とバスを進めました。 家は土台だけを残してすべて流され、津波の凄まじい力を見せつけられました。
 空港から80km北上して石巻市に入りました。 市の震災前の人口は16万人でしたが、現在は15万人です。 死者3,490名、行方不明者448名を出したのです。
 石巻で語り部を勤めてくれたのが28歳の男性で、㈱ヤマサ興商・256名の社員さんが居て海産物・特に練りものを製造している会社に勤めている方でした。
 3月11日の夜は倉庫の2階で、寒さと恐怖に震えながら過ごしたといいます。
 彼は結婚1年の新婚さんで、震災の7日前に完成した新居を流され、住宅ローンだけが残った。ただ、今は命があったことに感謝して、前向きに生きている、と言われました。
 売上も震災前の半分、15億円まで戻して、これからだ、と営業の彼は元気いっぱいでした。

 昼食は閖上(ゆりあげ)地区の復興商店街のラーメン屋さんで大枚1,200円を払い、フカヒレ・ラーメンをいただきました。 地元石巻で獲れたサメだそうで、大変おいしかったです。
 再建は大変だったでしょう!と質問しますと、50代後半のおかみさんは、「チリ津波でも大きな被害を受けたがその時は殆ど援助はなかった。しかし今回は全国から支援をいただき、机も、椅子も、食器から冷蔵庫までいただき、他人の(ひとの)心の温かさに感謝している。」と言われました。

 つらい話ですが、石巻の山の手にある幼稚園、地震が起きて40分後に津波が襲ってきたわけですが、園児を街中に居る親元に返そうと山を下ったところでマイクロバスが津波に飲まれ、8名が亡くなり、いまだに訴訟が続いていると聞きます。 幼稚園も良かれと思ってしたことでしょう。つらい思いです。

 東南海地震、30年以内に起きる確率は70%と言われます。 今までは私があの世へ行ってから来てくれれば良い!と考えていましたが、東北の惨状を見るにつけ、身の廻りの後始末をつけてからあの世に行きたいと考える今日この頃です。

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